東北大学大学院医学系研究科保健学専攻家族支援看護学講座小児看護学分野

東北地方太平洋沖地震 分野の支援活動 写真集

●その1:2011年4月15日 撮影地:宮城県石巻市
写真File(30枚,zip圧縮,11.2MB)
石巻で避難所の子どもたちに遊びを提供しているNPO「にじいろクレヨン」に同行しました。
今回まわったのは石巻高校,渡波小学校,万石浦小学校の避難所です。
写真は11枚目までが石巻高校,続く2枚は被害が大きかった地区を通って渡波小学校に向かう道です。次の12枚が渡波小学校での遊びの様子です。天気がよかったので校庭でキックベースボールをしました。校庭の周りは瓦礫の処理中でした。はじめの2枚を見ると押し寄せた津波の高さがわかります。
最後の5枚は万石浦小学校です。ボランティアの学生に抱っこ,おんぶしてもらいたい子が多いようです。万石浦の1枚目の背景には建設中の仮設住宅がありました。最後の1枚は学校の裏,一段低い地区の様子です。70cmくらい地盤が沈下したため,満潮時は床下浸水になります。この学校に行く道も半分冠水していました。
基本的には子どもたちは皆元気に遊んでいました。

●その2:2011年4月16日 撮影地:宮城県亘理郡山元町
写真File(23枚,zip圧縮,7.3MB)
東北大学地域復興プロジェクト"HARU"とともに山元町の保健師活動支援に向かいました。
HARUのメンバーは交通整理や子どもの遊びや学習を支援したり,力仕事をしたりして支援しています。東北大学が全面バックアップしています。
これとは別に保健師活動を支援して欲しいと依頼があり,保健学科看護学コースの教員と大学院生,学部学生が避難所の方々の健康管理や感染症予防,身体的精神的な個別支援を必要とする方々の調査,集計,解析,戸別訪問支援を行っています。写真はこれらの様子です。
町役場に近接した避難所にいる子どもたちと遊ぶ看護学専攻の学生とHARUの学生も写っています。役場から海方向を見下ろすと更地になった沿岸部が見えました。
最後の5枚のうち4枚は帰りのバスから撮った名取,閖上近辺です。住宅街の瓦礫の中に船や車がまだ残っていました。
最後の1枚は保健師さんの要望で臨時の仕事場にネットワークケーブルを引いている私の姿です。この作業で山元町と仙台間でメールや解析情報のやりとり,情報検索,発信が可能になりました。脚立を救護所になっているエントランスの真ん中に立てていたので,少々邪魔になっていました。

●その3:2011年4月22日 撮影地:宮城県石巻市
写真File(34枚,zip圧縮,10.2MB)
石巻には石巻港と旧北上川の河口があります。海側は直接津波にのみ込まれ,さらに河口をさかのぼった津波で川沿いの地区が被害を受けました。
写真のはじめの8枚は海と河口に面した山,日和山公園から撮影した様子です(この山に来るのは小学4年生の遠足以来です)。海側はほとんど更地です。石巻市立病医院が残っていますが,ここは3月16日に閉鎖されました。住宅や工場はほとんど残っていません。河口の反対側は建物が残っていますが,ほとんど全壊の建物です。さらに地盤沈下がひどいところです。河口から東側はライフラインはほとんど回復しておらず,電気が少し来ている程度です。水道はまだなので,衛生状態は良くありません。川の中州のUFOのような白い建物が「石ノ森萬画館」です。宮城出身の石森章太郎のミュージアムです。
石巻のNPO「にじいろクレヨン」の活動に参加しました。
大学同期の友人である松浦美紀さん,鴻丸恵美子さん,大賀明子さん,明石久美子さん,玉置博子さんから子どもたちの支援にと義援金をいただきました。本当にありがとうございました。この日はいただいた義援金で購入した画用紙と水彩用の筆を届け,教員と院生が遊びに参加しました。
受付をして,氷おに(オニに触られるとその場で固まって動けなくなる,逃げ回っている人に触られると再び走り回れる),フィンガーペインティングをしました。
学校が21日から始まったので,放課後の16時からスタートです。この日の会場は日和山のすぐ隣にある門脇中学校です。マスクをして紺色のダウンジャケットを着て受付しているのがNPO代表の柴田さんです。
「指で」と言われているのにだんだんエスカレートして手のひらでスタンプしたり,絵の具の上に砂をかける子もいて大はしゃぎでした。
ボール遊びや鬼ごっこなどのためにビブスがあると良さそうです。目立つ色で作ると離れていても参加している子どもの動きを把握しやすくもなります。柴田さんとお話しして10枚あればとりあえず間に合うとのことでしたので,義援金で準備したいと思います。